論文・エッセイ

『昭和文学研究』第90集に、後藤隆基著『乱歩を探して』(学校法人立教学院発行、2024.3)の新刊紹介を書きました。

『京都語文』32佛教大学国語国文学会発行の『京都語文』第32号に、以下の論文を発表しました。

日高佳紀
「谷崎潤一郎のフィクション論序説─拵へ物・空想・組み立て─」

(要旨)
昭和初年の谷崎潤一郎の「うそのことでないと面白くない」(「饒舌録」)という発言をそのフィクション観の発露と捉え、作家としてのデビュー当初からの評論的な表現に込められた問題意識の連続性とフィクションをめぐる意識の解明を試みる。デビュー時期の「「門」を評す」では自然主義に対する夏目漱石の批判意識を受けて、漱石の「拵へ物」とする小説創作が〈事実〉か〈空想〉かという基準枠の上に成り立つことが論じられる。〈空想〉とは、「早春雑感」によると芸術および小説創作の源に置かれるもので、虚実とはレベルの異なったものであると構想される。さらに、「芸術一家言」では、ともに〈拵へ物〉とされる里見弴「恐ろしき結婚」と漱石「明暗」が比較され、両者の間にフィクション論的没入の差が認められるが、それは創作行為における〈空想〉および〈組み立て〉の違いによるものなのである。あらためて「饒舌録」に立ち戻ると、〈空想〉と〈組み立て〉によるダイナミズムに小説の価値が見出されていることが明らかとなる。

『日本近代文学』第109集に、西村将洋著『谷崎潤一郎の世界史 ─『陰翳礼讃』と20世紀文化交流─』(勉誠出版、2023.2)の書評を執筆しました。
 

『昭和文学研究』第87集に、田村景子著『希望の怪物 現代サブカルと「生きづらさ」のイメージ』(笠間書院、2023.1)の新刊紹介を書きました。



『週刊読書人』第3459号(2022年10月7日)の巻頭特集(1・2面)に、先日刊行した『小説のフィクショナリティ 理論で読み直す日本の文学』共編者の高橋幸平さん、久保昭博さんとの鼎談「フィクション論と文学」が掲載されました。
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本書刊行に至る経緯と企図、フィクション論の現在、文学研究における理論の位置と価値、フィクション論の可能性、日本文学におけるフィクション、今後の展望・・などなどについて語り合っています。ぜひご覧ください。

『週刊読書人』20221007
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『昭和文学研究』第81集に、中村ともえ著『谷崎潤一郎論 近代小説の条件』(青簡舎、2019.05)の書評を執筆しました。

なお、同誌「研究展望」欄には、西川貴子「建築と文学の交錯──文学テクストにおける建築表象をめぐって」が掲載されています。西川さんは拙編著書『建築の近代文学誌 内地と外地の西洋表象』(勉誠出版、2018.11)の共編者であり、本文中でわれわれが取り組んだプロジェクトと拙編著について触れられています。


NUE-KOKUBUN43
『奈良教育大学国文─研究と教育』第43号が刊行されました。
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本誌には、日高研所属の院生である吉村惇・草川倫太郎両君の論文、そして、資料紹介として拙稿が掲載されています。
 
【論文】
吉村惇
梶井基次郎『檸檬』のレトリック─大正期「活動写真」の方法─
◇草川倫太
江戸川乱歩「陰獣」におけるフィクションの機能
【資料紹介】
◇日高佳紀
鈴木悦「悪魔と其の弟子」解題と本文
─カナダの日本語新聞『大陸日報』社説欄に載った戯曲─

吉村論は、梶井基次郎『檸檬』について、作品の舞台となった大正期の京都で流行していた「活動写真」の文化状況と映画独自の表現技法をコードに作品解釈する試み。草川論は、江戸川乱歩にとって作家としての分岐点となった「陰獣」に内在するフィクションの在処とその機能について、フィクション論の観点から論じたもの。二人にとって初めての論文です。
今回、「資料紹介」という慣れない作業に取り組んだ拙稿は、戦前期カナダで発行されていた『大陸日報』の主筆を務めていた鈴木悦が著した戯曲形式の作品を扱ったもの。校訂を施して作品全文を掲載するとともに「解題」で作品を取り巻く状況を紹介しました。


『日本文学』2019年11月号の特集「日本(語)文学の越境と翻訳」に、以下の論文を発表しました。

◇日高佳紀
「短篇小説の在処─村上春樹 The Elephant Vanishes(『象の消滅』)の構成と翻訳─」


(要旨)
The Elephant Vanshes1993年にアメリカのクノップフ社から刊行された村上春樹の短篇小説集The Elephant Vanishesの構成は、西洋諸国で村上春樹の短編集が刊行される際に踏襲され、2005年には新潮社から同じ構成による日本語版が刊行される。異なった言語・書物に再配置された短篇小説はいかなる意味をもつのか。アメリカで編集された際の作品選択と構成を検討するとともに、逆輸入された日本語版をもとにいくつかの作品の翻訳・改稿過程を追うことで、アメリカ─〈世界〉で読まれた村上文学の特質を明らかにした。