論文・エッセイ
『週刊読書人』第3459号(2022年10月7日)の巻頭特集(1・2面)に、先日刊行した『小説のフィクショナリティ 理論で読み直す日本の文学』共編者の高橋幸平さん、久保昭博さんとの鼎談「フィクション論と文学」が掲載されました。
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本書刊行に至る経緯と企図、フィクション論の現在、文学研究における理論の位置と価値、フィクション論の可能性、日本文学におけるフィクション、今後の展望・・などなどについて語り合っています。ぜひご覧ください。
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『奈良教育大学国文─研究と教育』第43号が刊行されました。
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本誌には、日高研所属の院生である吉村惇・草川倫太郎両君の論文、そして、資料紹介として拙稿が掲載されています。
【論文】
◇吉村惇
梶井基次郎『檸檬』のレトリック─大正期「活動写真」の方法─
◇草川倫太郎
江戸川乱歩「陰獣」におけるフィクションの機能
【資料紹介】
◇日高佳紀
鈴木悦「悪魔と其の弟子」解題と本文
─カナダの日本語新聞『大陸日報』社説欄に載った戯曲─
吉村論は、梶井基次郎『檸檬』について、作品の舞台となった大正期の京都で流行していた「活動写真」の文化状況と映画独自の表現技法をコードに作品解釈する試み。草川論は、江戸川乱歩にとって作家としての分岐点となった「陰獣」に内在するフィクションの在処とその機能について、フィクション論の観点から論じたもの。二人にとって初めての論文です。
今回、「資料紹介」という慣れない作業に取り組んだ拙稿は、戦前期カナダで発行されていた『大陸日報』の主筆を務めていた鈴木悦が著した戯曲形式の作品を扱ったもの。校訂を施して作品全文を掲載するとともに「解題」で作品を取り巻く状況を紹介しました。
『日本文学』2019年11月号の特集「日本(語)文学の越境と翻訳」に、以下の論文を発表しました。
◇日高佳紀
「短篇小説の在処─村上春樹 The Elephant Vanishes(『象の消滅』)の構成と翻訳─」
(要旨)
1993年にアメリカのクノップフ社から刊行された村上春樹の短篇小説集The Elephant Vanishesの構成は、西洋諸国で村上春樹の短編集が刊行される際に踏襲され、2005年には新潮社から同じ構成による日本語版が刊行される。異なった言語・書物に再配置された短篇小説はいかなる意味をもつのか。アメリカで編集された際の作品選択と構成を検討するとともに、逆輸入された日本語版をもとにいくつかの作品の翻訳・改稿過程を追うことで、アメリカ─〈世界〉で読まれた村上文学の特質を明らかにした。
◇日高佳紀
「短篇小説の在処─村上春樹 The Elephant Vanishes(『象の消滅』)の構成と翻訳─」
(要旨)
1993年にアメリカのクノップフ社から刊行された村上春樹の短篇小説集The Elephant Vanishesの構成は、西洋諸国で村上春樹の短編集が刊行される際に踏襲され、2005年には新潮社から同じ構成による日本語版が刊行される。異なった言語・書物に再配置された短篇小説はいかなる意味をもつのか。アメリカで編集された際の作品選択と構成を検討するとともに、逆輸入された日本語版をもとにいくつかの作品の翻訳・改稿過程を追うことで、アメリカ─〈世界〉で読まれた村上文学の特質を明らかにした。
『タイ国日本研究国際シンポジウム2018 論文集』に、同志社女子大学の高橋幸平さんとの共著論文を発表しました。また、本誌には卒業生の笹尾佳代さんの論文も掲載されています。
◇日高佳紀・高橋幸平
フィクション論と現代文学─筒井康隆・村上春樹テクストを読む─
◇笹尾佳代
スキャンダル報道言説への反照─柳原白蓮『荊棘の実』の射程─
拙論は、昨年8月25日にタイのチュラーロンコーン大学で開催されたシンポジウムでのパネル発表をまとめたものです。1979年に発表された筒井康隆『虚人たち』と村上春樹『風の歌を聴け』について、フィクション論の観点から両作品のフィクショナリティについて分析・記述した論考です。
笹尾論も同シンポジウムでの研究発表にもとづいたもの。かの白蓮事件(1921)の当事者である柳原白蓮が事件後に発表した自叙伝『荊棘の実』と事件当時にあふれかえったスキャンダル報道との応答の様を扱った論考です。