2025/02

◇日高佳紀
「谷崎潤一郎のフィクション論序説─拵へ物・空想・組み立て─」
(要旨)
昭和初年の谷崎潤一郎の「うそのことでないと面白くない」(「饒舌録」)という発言をそのフィクション観の発露と捉え、作家としてのデビュー当初からの評論的な表現に込められた問題意識の連続性とフィクションをめぐる意識の解明を試みる。デビュー時期の「「門」を評す」では自然主義に対する夏目漱石の批判意識を受けて、漱石の「拵へ物」とする小説創作が〈事実〉か〈空想〉かという基準枠の上に成り立つことが論じられる。〈空想〉とは、「早春雑感」によると芸術および小説創作の源に置かれるもので、虚実とはレベルの異なったものであると構想される。さらに、「芸術一家言」では、ともに〈拵へ物〉とされる里見弴「恐ろしき結婚」と漱石「明暗」が比較され、両者の間にフィクション論的没入の差が認められるが、それは創作行為における〈空想〉および〈組み立て〉の違いによるものなのである。あらためて「饒舌録」に立ち戻ると、〈空想〉と〈組み立て〉によるダイナミズムに小説の価値が見出されていることが明らかとなる。