2011/03

『奈良教育大学国文―研究と教育』第34号に拙稿を発表しました。

◆メタフレーズとしての読むこと
   ―〈文学を教える〉と〈文学で教える〉の間―


昨年夏に赴任したエル・コレヒオ・デ・メヒコ(メキシコ大学院大学)での谷崎潤一郎の英訳テキスト"Naomi"(=「痴人の愛」)"Quicksand"(=「卍(まんじ)」)を用いた教育実践から考えたことをまとめました。

また、研究室所属大学院生の林未織さんの論文も掲載されています。

◇林未織
「探偵のディスクール―「彼岸過迄」における青年たちの物語―」


その他の内容はこちらに。

本日、卒業式です。
この日を迎えたみなさんに、心からおめでとう。
もう、春が目の前です。

『村上春樹と小説の現在』『村上春樹と小説の現在』が刊行されました(日本近代文学会関西支部編、和泉書院)。
昨年6月に開催された日本近代文学会関西支部大会の特集シンポジウムをもとに、その全容(第1部)と、シンポに参加した支部内外の執筆者13名の論考(第2部)によって構成されています。
飯田祐子さん、黒田大河さんとともに、シンポジウムの企画および本書の企画・編集を担当しました。また、拙論「記憶の物語/時間のレトリック―村上春樹の1Q80年代」が所収されています。
ぜひ、書店等で手にとってご覧いただけると幸いです。
>>詳細

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村上春樹から〈小説の現在〉の在処を探る。―いま、村上春樹ほど「小説」を書くことに意識的な作家はいない。『1Q84』ブームに見られるような、社会現象化した春樹の仕事を、「記憶」「拠点」「レスポンシビリティ」の観点から顕わにする。デタッチメントからコミットメントへ、「記憶」と「歴史」が接合されるとき、春樹テクストはそこにどう向き合うのか? 境界を超えて活躍する春樹は、グローバリズムに対してどのようなポジションを取り、どこを「拠点」とするのか? 応答責任を負うべき春樹の読者とは、「誰」なのか? 「大きな物語」が衰退し「小さな物語」の乱立する現在、〈小説〉の可能性はあるのか? シンポジウムでは読者の欲望と村上春樹の「正しさ」について、4人のパネリストが縦横に語る。13人の論考がそれらの議論に応答する。現在における村上春樹の位置と政治性を問い、「文学」の果たすべき役割を明らかにする。巻末に村上春樹出版年譜を付載。
(出版社のwebサイトより)

上海の街歩き上海ゼミ旅行から無事帰国しました。心配していた天気もどうにか持ち、近代と現代、そして近未来の上海の街を満喫しながら、「世界の“今”」を肌で感じた旅でした。学生たちにとって、上海体験後の「日常」がどんなふうに変化するのか、とても楽しみです。